仕事と健康

健康に働くためのヒント

明治期以前の労働と健康

明治以前の労働衛生に関する記録は少なく、限られた文献や個人的な日記の・ようなものから推測せざるを得ないが、以下のような職業病が考えられている。

  1. 職人の職業病:技術専門職に分類される職人に関連して、例えば、歌舞伎役者が使用する白粉に含まれる水銀による健康被害が挙げられています。白粉には、原料として水銀が多く使用されていました。この軽粉製造は水銀を釜に入れて焼くので、その本家を釜元といい釜の権利は厳重に維持されていました。それにもかかわらず、病気が理由で釜元の株の譲渡が多数行われていたことが記録に残されています。これが水銀中毒であったと考えられます。金属水銀の標的臓器は脳で手指の震え、精神障害などが見られました。

  2. 写経生の職業病:仏教伝来以来、長時間座位姿勢での写経に従事した写経生には、赤痢、腹病、下痢、胸痛などの病気が発生していたと記されています。また栄養の偏りからくる脚気などもあったと考えられます。これらは正倉院文書に残る写経せいの休暇届などから伺えます。

  3. 鉱山労働者の珪肺:鉱山労働者には、閉鎖的な作業場での労働環境により、珪肺という職業病が生じていました。鉱山での職業病は注目された。当時の記録が残っている鉱山には、佐渡金銀山、大葛金山、生野銀山が挙げられる。宝暦6年(1756)頃の佐渡事情がまとめられている『佐渡四民風俗』では、金山の坑夫、掘り大工は「掘だをれ」「疲れ大工」とよばれて短命で、じん肺の症状が記されている。大葛金山でも、じん肺は職業病として問題になっており、文化9(1826)には、すでに覆面という防塵マスクを使用させていたことが記録されています。生野銀山でも文政2年(1819)から文政5年(1822)の煙毒死者数が記録に残されており、労働災害が起きていたことを示してます。鉱山は江戸時代における主な産業であり、職業病としての珪肺(当時はよろけ、などと言われた)やそれに同対処したか、などの記録が残っています。効果があったかは不明ですが鉱夫たちの病気に益田玄皓という医師が「紫金丹」という薬を用いていたという記録があります。

  4. 水銀中毒:例として、奈良の大仏の金箔を施す過程で大量の水銀を使用し、その際の水銀蒸気の吸入による中毒が発生した可能性が指摘されています。ただしどのくらいの人が、どのような症状を呈したか、など具体的なデータを示す正式な記録はありません。

以上の内容は、職業病の具体例として明治期以前の日本の労働環境や健康問題を示しています。