仕事と健康

健康に働くためのヒント

徳川時代の住友銅吹所の労働災害

 

江戸時代の労働災害の記録は殆どないが、1833年大阪の住友銅吹所での労働災害が記録されている。別子銅山で採鉱した鉱石を炉の中で焼いたが、この鉱石は硫黄を含むので、亜硫酸ガスが発生し、近づくのが困難であった。この焼いた鉱石を溶かして粗銅をとる。ここまでは別子銅山付近でやっていた。ここから粗銅と半製品の銅塊は新居浜に送られ、さらに大阪の住友銅吹所に送られた。吹所では溶かした銅を方に流し込んで棹銅を製造した。当時の作業の詳細は1801年に住友家が著した「鼓銅図録」にある。1833年2月21日に吹所で子吹大工(銅鋳造工)の忠兵衛が作業中に、鋳型が破裂して、両足に大きな熱傷を受けた。このとき当時有名な蘭方医であった橋本宗吉が往診し治療したとの記録が残っている。しかし、3日後忠兵衛はなくなっている。このとき住友家はかなりの金額を謝礼として橋本宗吉に支払っている。当時の有名な蘭方医に忠兵衛の治療を依頼していることは興味深い。