仕事と健康

健康に働くためのヒント

19世紀末の鉱山の労働と健康②明治の鉱業法制

高島炭鉱問題は当時の炭鉱の悪い一例で、坑内労働はどこも劣悪な労働条件でした。このような状況に至った明治の鉱山法制がどのようなものであったのか、を見ていきます。まず、明治新政府は明治二年二月,行政官布告一七七号を出し,全国の鉱山に対ー
する新政府の王有権と,未採掘鉱物の採掘をすべての人に解放するいわゆる鉱業自由の原則を宣言しました。つづく明治五年,政府は「鉱山心得」を出しました。すなわち「此鎖物ナルモノ都テ政府ノ所有トス故ニ独リ政府ノミ之ヲ開採スル分義アリ J. r錆物ハ…・・・政府ノ所有物ニシテ地主ノ私有ニ非ス」とし、鉱物の所有権を土地所有権から分縦しました。翌明治六年に出された「日本坑法」もこれをひきついで、,鉱物の所有権を土地所有権から分離しました。そしてこれを政府の所有となし,一般私人は政府から坑区を借区して開坑するという規定を取りました。これは純然たる産業政策上必要な立法であって、坑夫の安全衛生に関する条項はありませんでした。しかし、高島炭鉱問題などを発端として、1890年安全衛生並びに扶助に関係ある項目を盛り込んだ鉱業条例が布告され、1892年6月1日に施行されました。その第5章の「鉱業警察」の第58条で「1、坑内及び鉱業に関する建築物の保安、1、坑夫の生命及び衛生上の保護、1、地表の安全及び公益の保護」をあげ、これは農商務大臣が監督し鉱山監督署長これを行うとしています。また第59条で鉱業上に危険のおそれがあり、または公益を害すると認められるときは鉱山監督署長は鉱業人にその予防を命じたり、鉱業の停止を命じ得るといっている。第6章は「坑夫」で坑夫の保護が定められています。ここでは12時間を超える労働の制限、14歳以下の就業時間の制限、負傷した場合の補償などについて、規定されています。さらに1892年鉱業警察規則が交付され、炭鉱や金属山の通気量や、炭鉱のガス爆発予防、安全灯に関する項目が規定されています。その後1905年には「鉱業法」が制定されてます。この鉱業法で鉱夫保護に関するのは第5章で、鉱業条例では就業中の負傷に関してのみ扶助を定めていましたが、鉱業法では業務上の疾病に関しても取り上げられました。しかし、実際には鉱業関係で業務上疾病と認められたのは1921年10月、ワイル病が、1929年眼球振盪症が、1930年、3年以上継続して勤務して珪肺にかかった場合、くらいでまだまだ不十分と言わざるを得ない状況でした。このような状況下だったので友子制度が存続せざるを得なかった理由が十分にあったのです。