仕事と健康

健康に働くためのヒント

タイトル: 「私の研修医時代 - 過酷な日々の記憶」

30年位前、厚生労働省直轄の病院での研修医としての私の日々は、今振り返っても信じられないほどの過酷さでした。朝6時、まだ夜が街を覆っている静かな時間から、私の一日は始まります。採血に回るこの時間、病棟は静寂に包まれていて、私は患者さん一人一人のベッドを訪れ、必要な血液サンプルを採取します。この作業は、私にとっては日常のルーティンであり、患者さんの健康状態を把握する最初のステップでした。

その後、手術室での助手業務が待っています。「こうひき」という第二助手で、前夜の疲れで手術中睡魔に襲われることも珍しくありませんでした。同僚も同じような感じだったと思います。

手術が一段落すると、標本整理という作業が待ってます。これは例えば、胃切除であれば切除された胃をきれいに広げて、更に周囲の組織からリンパ節を取り出し、病理検査で見てもらえるように標本づくりをする作業です。結構めんどくさいですが、大事な作業なので手は抜けません。これによって術後の治療方針が決まるので。週に一回手術カンファレンスがあり、標本整理のあと症例提示の準備に取り掛かります。このときすでに午後6〜7時位のことが多く、それから病棟回診して一応7時半位にルーチンが終了といった感じで、研修医はそれからカルテ書き、翌日の採血の準備で終わるのは9〜10時くらいでした。カルテ書きはともかく、採血の準備までなんでやらないといけないのか不満でした。最もこれでもすべてが順調に行った場合で、一応のルーチン作業が終わってからも、ポケットベルが鳴れば、細々とした対応をさせられ、夜間の緊急手術のために呼び出されることもしばしばでした。深夜の緊急手術の際に不在であればあとから嫌味を言われることもありました。

この繰り返しの中で、睡眠時間はわずか4〜5時間程度。休む暇も殆ど無い上に、当時の研修医はアルバイト扱いで、時給は約1300円程度。勤務時間は公式には9:00〜15:00位とされていましたが、残業手当はなく、実際にはそれを遥かに超える労働を強いられていました。月の給料は12〜3万でした。休日という概念はほぼ存在せず、ポケットベルで常に呼び出される状態でした。更に頭にくることは、その当時給料は現金支払いでしたが、僅かなスキマ時間で給料を取りに行くと、事務員は今休憩中だと言って出してくれなかったりしたことです。今はどうなってるか知りませんが、当時は研修医は人間扱いされてなかったと思います。明らかに新人看護師以下の扱いでした。(看護師は全員正規の公務員)。最も当時は自分もそんなもんか、位にしか思ってませんでしたが。

最近、専攻医が自殺したという悲しいニュースがありましたが、私の研修医時代から現在に至るまで、ニュースにはならないものの、私の先輩でも夜昼なく働いていた方は早死したり、あるいは突然ししたり、という話も耳にします。労働衛生学的にも、不規則な勤務は健康に悪影響があることは指摘されています。私の研修医時代は医師としての技術や知識も「ある程度」養われたとは思います。しかしその長時間の強制的「自己研鑽」のわりに得られるものは少なかったと思います。