仕事と健康

健康に働くためのヒント

19世紀末の鉱山の労働と健康④生野銀山の塵埃吸引病、鉱夫肺病ー佐藤英太郎の「鉱夫肺病」

1890年、先に触れた坪井次郎の教え子であった、生野の開業医、佐藤英太郎は「鉱夫肺病に就いて」という論文を発表している。その中で「 恩師坪井助教授 八 奥羽地方 山衛生的要 件 二就テ研究セラ レ其報告ヲ束京医学会二於テ演 説 シ鑽山 疾病トシテ外傷窒息 塵埃吸 入病 ヲ 挙 ケラ レタリ余亦近来宮内省御料局管理ダ ル 生野 廣山 医務 二従事 シ聊ヵ得 ル処 ナキニアラ ス、依 テ先 ツ 塵埃吸 入病 二 就キ論述 シ漸次他二論及セント ス」といっている。そして、 坑業二関 シテ頗 ル熟練 ヲ以 テ称 セルモ ノ十中 八九 ハ俗間二所謂煙毒二罹り三十歳以内ヲ以 テ鬼籍二上 り天寿ヲ全フスル実二寥 々タリ シ毒 トハ何ソ ヤ 塵埃吸 入(殊二石粉) ニ因 ス ル 呼吸器疾患、即チツエンケル
氏 肺病二外 ナ ラサ ルナリ」 と書 いて いる。ツエ ンケル氏肺 病 というのは F . A . Zenk erの「 肺の塵埃吸 入病」の論 文を意味 している。また、9歳から生野で50年仕事をした鉱夫や当地の各医師に聞いて、次のような症状を記している。「 今其症状ヲ略述 スレハ始メ 感冒様ノ感覚アリテ、咳嗽頻発シ荏再止マス、全身次第二衰弱 シ、呼吸促追盗汗頻リニ至り、 或ハ喀血 ヲ来シ、終ニハ全身浮腫シー年乃至一年半ヲ經テ、黄土二帰ス試ミニ初期喀痰ヲ取り日光二乾ヵシ指間二夾ミ軽磨スルトキハ砂ノ 積存セルヲ認ムト云フ坑夫自己に於テモ、之レニ罹 ルトキハ到底治癒 ノ望 ミヲ絶 チ多年ノ苦患ヲ免 レン為メ、自ラ阿片ノ大量ヲ服シ自殺スルニ至 ルト云フ、又坑外二 於テ冶金ノ業ヲ取ルモノハ往々前述 ノ疾患ヲ犯 スモ多クハ下脚麻痺二陥 ルト云フ、是レ蓋シ製錬ノ爲メ飛散スル鉛気ヲ吸入シ鉛毒麻痺ヲ来タセシニアラサルカ余ハ実験セサルヲ以テ茲二断言スルヲ得ス」 聞 いた話も付け加えて書 いて いるわ け で あ る 。
ところが明治以来鉱業技術 は長足の進歩をし,「 坑道ノ如キモ鉄路縦横牛馬列車 ヲ牽テ出入シ、処々ニ換気口ヲ設クルヲ以、 坑夫社会二於テ本病二罹 ルモノ絶 テナシト云 フ可キナリ余ハ開業後 僅ヵ二名ヲ実験セシノミ (但 シー 名八古式 鉱業ヲ採シモノ) 」 と書 いており、開業後は2名の鉱夫肺病を見ただけであり、鉱業技術の進歩改良によるものだとして、近代化の成果とも言えるような記載が見られる。さらに、この論文中、1例の鉱夫肺病の症例報告もおこない、衛生工学の必要性を説いている。

 佐藤は1892年、「坑夫社会ノ所謂煙毒二就テ」という論文を発表している。この中で自験例として、「鉱夫肺病に就いて」で示した例と、続発性結核でなくなった1例を報告し「以上ノ二患者ノ病歴二依り見レハ古来俗間二所謂煙毒即ハ一汎二塵埃吸入病ト称スベキ 疾患二外ナラズ、ツエンケル氏ハ塵埃吸入病二就キ、始メテ種々ノ記載ヲナ セリ」とまとめ、煙毒と言われていたものは、塵埃吸引病、今で言う、じん肺であるといっている。また、20年、30年と坑夫として従事していると、続発症、合併症で不幸の転帰を取ることが多いと書いている。これらは現在のじん肺の定義とほぼ一致している。剖検の必要性も強調している。最後に他鉱山の鉱山医に鉱夫肺病の予防を呼びかけている。 「坑業二関シテハ長足ノ進歩ヲナシ 換気充分亦本患者ヲ出スニ至ラス、唯搗鉱処(とうこうば、低品位の鉱石を粉砕し、水銀によって金を回収する施設)二於ハ漸次本患者ノ多数ヲ出スカ如キ状アリシモ、我鉱山二於テ昨年末以降、水搗法 (水ヲ混シテ搗砕ス)ヲ行フヲ以テ、最早吾人ノ憂慮ヲ求ムルヲ要セズ日下鎮業 旺盛ナルノ今日豈吾 生 野鎮山 ノミナランヤ、全国尚ホ 乾搗ヲ行フノ地 、鮮少二アラザルベ シ俯シテ望ムラクハ、是等ノ鉱山医タ ルノ諸君一片ノ観念ヲ垂レ本症ノ研究アリテ防禦ノ策ヲ講 セラレンコトヲ」つまり、十分な換気と湿潤化でじん肺患者を減らせたので、他の鉱山医にもこういった対策をするように呼びかけているのである。そして、これらの対策は現代においても粉塵作業場において基本的な作業環境対策となっている。